Q、日本人のあなたがニュー・ウェイヴ・オブ・フレンチホラー・ムーブメント(以下、NWOFHM)の映画を撮ることにした、そのきっかけを教えてください。
僕が監督したもう一本の長編ドキュメンタリー映画『Ramen Fever』の製作中に、自宅で深夜に横になっている時に突然思いつきました。2016年の春のことです。ゼロ年代はホラー映画のムーブメントが活況を呈した10年間だったわけですが、例えば数々のハリウッドリメイクが製作されたJホラー、『ホステル』や『ソウ』などのアメリカのトーチャー・ポルノ、そして『パラノーマル・アクティビティ』などのファウンド・フッテージ(POV)。そんな中でもフレンチホラーはホラー史に大きな刻印を残した最も重要なムーブメントだと今でも思ってます。『ハイテンション』は05年の全米公開時に、当時住んでいたニューヨークで鑑賞したのですが、フランスでもこんなゴアなホラーが作れるんだ、と感銘を受けました。その後、『屋敷女』と『マーターズ』を観て、しばし興奮が収まらないほど、激しく衝撃を受けましたね。ブルータルでゴアでパワフル、しかもフランス映画らしい繊細さも同居している。このユニークなバランスと独自性に魅了されました。あれから約10年が経過し、ここで一つ誰かがあのムーブメントを総括し、記録することが必要だと感じたわけです。一つのエデュケイションとして映像作品という形で後世に残せたらな、と。
しかも、監督はそもそも映画評論家なわけで。
僕は具体的に映画監督になりたいと思ったことは一度もないのですが、『Ramen Fever』にせよ『BEYOND BLOOD』にせよ、僕が作品を選んだわけではなく、作品が僕を選んだだけです。確固たる題材が、心から語りたいストーリーがあるならば、これは作るべきだと。ドキュメンタリーなら、ある程度一人で作れることもわかってましたし。今はiPhoneで劇映画が撮れる時代ですから。ただ、ライターや映画評論家を10年以上やってきて、アーティストとしてそろそろ次のクリエイティヴなステップに進まないといけない、という思いは強くありました。新しい表現方法を身につけて自分なりの作品を発表しないとな、と。気がつくと僕の周りには優れた映画監督ばかりいたので、映画監督になることも自然な成り行きだったのかもしれませんね。3年前に映画の製作を始めてからは、ライター業はほぼ廃業状態です。今後はさらに監督業に専念していきます。
Q、出演者たちには、どのようにコンタクトを取ったのですか?
08年に東京のフランス映画祭で『屋敷女』が上映された時に監督のジュリアン・モーリーとアレクサンドル・バスティロが、09年に同映画祭で『マーターズ』が上映されたときには監督のパスカル・ロジェが来日したんです。で、ライターとして僕がこの監督たちに、DVD映像特典用のインタビューをして、オフの時間に彼らを東京観光に連れていってあげたんですね。新宿とか中野に。そこで親交を深め、特にジュリアンと仲良くなり、僕がパリに行った時も街を案内してくれたりして。それでこの映画の企画を思いついたときに、即座にジュリアンに相談したら「喜んで全面的に協力するぞ!」と言ってくれて、一気に企画が動き出しました。そのときはまだ、この映画がどこに向かうのかはまったくわかりませんでしたが。フランス人の監督や俳優たちは、ジュリアンのおかげでインタビューを撮影できたのですが、その後自分の友人を中心としたネットワークで、このムーブメントに精通している、アメリカやカナダの監督や映画評論家、映画祭関係者たちに出演を依頼して。2018年の1月に撮影が完了しました。
企画、製作、監督、脚本、撮影、編集とほとんど一人で作られたわけですが。
NWOFHMの画期的なところは、ホラー映画がなかった国に世界を震撼させる強烈なホラー映画のムーブメントを生み出したことです。その発端は、保守的で封建的なフランスの映画産業のシステムに対する異議であり反抗であり疑問だったと思うのですが、監督たちのその姿勢は完全にパンクですよね。巨大なシステムを変えようと反骨的に立ち上がったわけですから。そこに僕は大いに共感を抱き、パンク・スピリットの大きな核であるDIYを自分も実践することは必然だったわけです。と言いつつも、まあそれよりも単純に、一人でやることは苦ではなく逆に楽だったので。自由があって。自分の確固たるビジョンも見えてましたし。僕はチャレンジするのが好きなんです。自分にチャレンジするのが。あと、僕の映画はインタビューがメインでありキモなのですが、僕はインタビューするのが好きですし、自分が優れたインタビュアーだと自負してるんです。だから、その自信も大きかったかもしれないですね。編集のテクニカルな部分は映画監督の佐藤周さんにご協力いただき、プロデューサーにはキングレコードの山口幸彦さんにも入ってもらいました。このお二人には心から感謝してます。
Q、ホラー映画はもちろんだと思いますが、フランス映画も好きだったのですか?
映画は昔からホラーに限らずジャンルを問わずなんでも観ますが、フランス映画の文法って独特ですよね。かなりリズムや構成が特殊で。好きな監督もいますし、好きな作品も色々あります。それこそ作品だとゴダールの『アルファビル』やベアトリス・ダル主演の『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』、監督だとギャスパー・ノエやレオス・カラックス、ジャック・オーディアールとか。でもアメリカ映画と比べると、そこまで熱心に観ていたわけではないです。ジャン・ローランの作品は、友人のフランク・ヘネンロッター(『バスケット・ケース』『ブレインダメージ』監督)にも薦められて、かなり観ましたけど。あとは『BEYOND BLOOD』のフランス語の翻訳を手がけてくれた僕の父は、大学で長年フランス語の教授をしていましたし、弟でこの映画に楽曲を提供してくれたクラシック音楽作曲家の小林純生も、昔フランスに留学していたことがあります。なので、ファミリーとしてフランスに縁があったんですよね。個人的にはフランスのパリは大好きな街ですし。芸術の都。街を散策していると、美しい絵画の中を歩いているような気分になります。ロマンティックな街ですよね。あとフランス語の発音やイントネーションが大好きでなんです。特に女性が話しているのを耳にすると心が弾みます。愛らしい。
Q、好きなフランスの言葉は?
ジュテーム?
Q、映画の終盤では、新時代の幕開けを告げる新しいフランス人監督たちと作品も取り上げています。
2016年5月に、初めてカンヌ国際映画祭に参加したんです。一番の目的は、そのとき同時進行で製作していた『Ramen Fever』を海外の配給会社やセールスエージェントにプロモーションをし、売り込むためでした。で、当然のごとくここで多くの新作映画も観たわけですが、その中で『RAW 少女のめざめ』に出会ったんです。スチル画像を見て、ほとんど予備知識のないまま、これは傑作の予感...と思って上映に駆けつけたら、見事にノックアウトされました。生まれて初めてスタンディングオベーションもしました。あの上映、映画体験は一生忘れられないでしょうね。上映中の観客のリアクションも凄まじく、素晴らしい盛り上がりで。その後、『RAW』の製作会社のワイルドバンチに知り合いがいたので、彼女を通じて監督のジュリア・デュクルノーに連絡を取り、その年の11月にパリのジュリアが住むアパートの近くのカフェで、初めて彼女に会いました。カンヌの舞台挨拶などで見かけていたのですが、相変わらずの長身美女で、腕に大きなタトゥーが入っていて。僕の映画に興味を示してくれて、なんとか出演してくれないか話し合ったのですが、結局スケジュールの都合がつかず、残念ながら実現しませんでした。その後もジュリアとは、たまに連絡を取り合ってます。今は彼女の新作が心から待ち遠しいです。
コラリー・ファルジャ監督とは、どのように出会ったのですか?
17年の9月にトロント国際映画祭で『REVENGE / リベンジ』が上映され、主演のマチルダ・ルッツと、監督のコラリーにインタビューしたんです。このときに『BEYOND BLOOD』のことを話して、連絡先を教えてもらい、12月にパリに飛んで彼女の自宅でインタビューを撮影させてもらいました。男勝りのハードコアな映画を作りますが、凄くチャーミングな女性なんです。去年フランス映画祭で来日したときも東京でハングアウトしましたし、今年パリでも会いましたし、今でもよく連絡を取り合ってますよ。この二本の作品に出会えたおかげで、『BEYOND BLOOD』の着地点が見えてきて、映画の完成の目処が立ちました。ドキュメンタリー映画は筋書きがないので、どこまでテーマや登場人物たちを追い続けるのか、という線引きが難しくて。撮影の終わりがなかなか見えづらいのですが、僕は一度作り始めたものは絶対に途中で投げ出したくなかったので、少し時間はかかりましたが、完成できてほっとしてます。
Q、スペインのホラーも取り上げていますね。
17年のトロント国際映画祭では『REC/レック』『エクリプス』の監督パコ・プラサにライターとしてインタビューする機会があり、彼もこのときに交渉して、出演を快諾してくれて。12月にマドリッドに飛んでインタビューを撮影させてもらいました。フランスのお隣、スペインで当時大ヒットしていたスペインホラーについて当事者に証言してもらうのは重要でしたし、スペイン人の観点から見たフレンチホラーについての貴重な発言も絶対に押さえたかったので。パコとは去年、シッチェスで再会できて嬉しかったですね。
Q、『BEYOND BLOOD』は、海外の映画祭でこれまでに上映されてきました。映画祭サーキットはどのような体験でしたか?
ワールドプレミアは、昨年10月のスペインのシッチェス国際ファンタスティック映画祭でした。昔から馴染みのある、世界で最も有名なファンタ系の映画祭で上映されたのは本当に名誉で光栄なことでした。一度は必ず行きたいと夢見ていた映画祭に、自分の作品を携えて行けたわけですから。『BEYOND BLOOD』は僕の初監督作ですが、自分の作った作品が人の目に触れるというのはなんだかシュールで、夢のような感覚でしたね。シッチェスでは上映前に英語で舞台挨拶をした後、お客さん(ほとんどがスペイン人だったと思いますけど)と一緒に、最後まで映画を観ました。ドキドキしましたし、変な汗をかきましたが、得難い体験でした。ちょうど、友人のパノス・コスマトスが監督作『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』を引っさげてシッチェスに来ていたので、一緒に食事をしたり。彼はシッチェスで、めでたく監督賞を受賞したのですが、あれは本当に嬉しかったですね。で、僕はシッチェスには一週間滞在したのですが、快晴続きで、街並みもビーチも美しく、のどかで、毎日街を歩いているだけで楽しかった。たまたまヌーディストビーチを見つけたので、やった! これはすごい! と駆け足でビーチに向かったのですが、よく見たら老人しかいなくて残念だったのもよい思い出です(笑)。映画祭も盛り上がってましたし、本当にたくさんのお客さんがスペイン中、中には国外からも来ていて、情熱の国らしく観客の熱狂ぶりも凄かった。また別の作品を携えて、いつか行きたいですね。
Q、シッチェス以外の映画祭はどうでしたか?
シッチェスの次は、同じく10月の下旬に行われたベルギーのレイザーリール映画祭でした。前からよく名前を耳にしていたのですが、世界遺産があるブルージュという美しい古都が舞台で。映画祭の規模自体は小さかったのですが、ここで初めて監督として英語でインタビューを受けました。新鮮な体験でしたね。そういえば、このときベルギーのブリュッセルで誕生日を迎えました。特に何をしたというわけでもないですけど(笑)。三つ目が、フランスのジェラルメ・ファンタスティック映画祭。前身のアボリアッツ時代を含めると歴史の長い伝統的なファンタ系の映画祭で。真冬の1月に雪深いスキーリゾート地で開催されたのですが、スタッフの対応やもてなしぶりも心がこもっていて、観客の熱狂も素晴らしく、愛情のこもった映画祭で、心から感動しました。
Q、映画にとって重要な意味を持つ、フランスでのプレミアですね。
はい。ジェラルメでは『BEYOND BLOOD』は三回上映されました。この映画祭で特に心に残っていることは、雪が降る夜に映画祭主催の山の上のオシャレなレストランでのディナーの席で、この年の映画祭の功労賞を受賞したイーライ・ロス監督と、映画監督として挨拶できたことですね。ライターとして、彼には以前二回スカイプでインタビューしたことはあったのですが、同じ映画監督として、まあ僕はドキュメンタリー映画しかまだ撮ってないわけですが、会うことができたのは不思議な感慨がありました。それ以上に嬉しかったのが、『BEYOND BLOOD』の舞台挨拶で出演者のジュリアン&アレックス、ザヴィエ・ジャンと一緒にステージに立ったのですが、彼らも、大勢のフランス人のお客さんたちも映画を気に入ってくれて、心から喜んでくれたことですね。あれは心が震えました。ジーンと胸が熱くなりました。アメリカ、スウェーデン、カナダ、フランス、韓国といった世界各国から参加していた他の映画監督たちとも仲良くなれましたし。これこそ国際映画祭の醍醐味ですよね。良い思い出ばかりです。
Q、『BEYOND BLOOD』には、2名の日本人の識者も出演しています。
キングレコードの山口幸彦プロデューサーは、日本におけるフレンチホラーの仕掛け人として最も重要な人で、この映画には欠かせない存在でした。『屋敷女』と『マーターズ』、『リヴィッド』がフランス映画祭で上映されたときに、僕にインタビューの仕事の依頼をしてくださり、監督たちと直接的に繋がることができたのも山口さんのおかげなんです。だから、山口さんがもし存在しなかったら、この映画は生まれなかったんじゃないですかね。伊東美和さんは、普段から親交もあり、一緒にトークイベントを何度かやったこともあるのですが、ホラー系のライターや映画評論家の中でも僕が最も好きな人の一人なんです。フレンチホラーにももちろん詳しいですし、伊東さんにインタビューしたら面白いだろうな、と思っていたら、案の定面白かったです。伊東さんの批評眼も、ユーモアのセンスも好きなんです。
言語は全編、ほぼ英語ですね。
英語が75%でフランス語が20%、日本語が5%といった感じですね。元々北米やヨーロッパなど海外のマーケットをターゲットに作り始めた映画ですし、フレンチホラーが題材の作品とはいえ、フランス語に偏らなくてよかったな、と思ってます。海外のセールスエージェント会社が何社も手を上げてくださって、最終的に昨年のトロント映画祭で担当者と面談してフランスのSNDにお願いすることに決めました。今後海外の映画祭でもっと上映され、幅広く映画が売れることを期待してます。
Q、昨年急逝された、「隣の家の少女」などで知られる著名なホラー作家、ジャック・ケッチャム(ダラス・メイヤー)さんも出演してます。
ダラスは、6年前にニューヨークに住む共通の友人に紹介してもらって以来の友人です。彼の行きつけの、アッパーウェストサイドにある、レディー・ガガのお父さんが経営しているレストランのバーで初めて会ってから、よくメールで連絡を取り合うようになりました。ニューヨークにいるときは必ず彼に会って酒を飲み交わしました。偉大なホラー作家であるだけでなく、ホラーの造詣も深く、スマートでジェントルなでラディカルな、人間として魅力的な人でしたね。会う度に多くの刺激をもらいました。ホラー映画を心から愛してましたし。日本のホラーもフランスのホラーも大好きで、詳しかったです。『BEYOND BLOOD』の出演を依頼した時も、即座にOKしてくれて。初めて彼の自宅にお邪魔して、撮影をしました。カメラの前で少し緊張気味で、照れくさそうな様子が印象深かったです。あのインタビューは、一生忘れられないですね。昨年の1月に新年のメールが届き、その後メールをしても返事がなかったのでおかしいな、と不思議に思ったんです。僕が知る中で誰よりもすぐ返信をくれる律儀でマメな人だったので。すると、その数週間後に突然友人から訃報を教えてもらって。本当にショックですし、彼にこの映画を観てもらえなかったことが残念でなりません。
Q、映画の製作中、最もチャレンジングだったことはなんでしょうか?
製作自体のチャレンジや苦難は特にないですね。好きで作っていたことですし。学ぶことも多く、非常にやりがいがあるクリエイティヴな作業の連続で、大きな醍醐味がありました。一番ハードだったのは、昨年の1月に、最後の撮影を終えて帰国した日に、母を突然事故で失ったことです。そこから気力を取り戻し、再び映画の製作に向き合うのは今までの人生で一番の困難であり試練でした。
Q、『BEYOND BLOOD』というタイトルの意味を教えてください。
Bloodは、最初から絶対にタイトルに入れたいと考えていました。「血」はホラー映画に欠かせない重要なエッセンスですし。フレンチホラーの鮮血は一度見たら忘れられないものがありますし。フランス人監督たちの「血統」という意味でのBloodも反映してます。あと、Bloodには血縁、親族という意味もありますが、父と弟も具体的に製作に関わってくれましたし、母や兄、祖母も献身的に応援してくれていたので「小林家の血」という意味でもあります。Beyondは好きな言葉で、向こう側とか超越したとか凌駕した、という意味があるのですが、ここにBloodを組み合わせたら、見事にハマったと。あと、Beyondがタイトルに入っている好きな作品が結構あって。ルチオ・フルチ監督のゾンビ映画『ビヨンド』は大好きですし、パノス・コスマトス監督のSFホラー『Beyond the Black Rainbow』も素晴らしい。
Q、New French Extremity(ニュー・フレンチ・エクストリミティ)という呼称の、フランス映画のサブジャンルの大枠があるわけですが、今回、その中のNWOFHにフォーカスした理由は?
New French Extremityは、最初は意識していたのですが、そこにカテゴライズされている作品を見ると、クレール・ドゥニ監督の『ガーゴイル』とかマリナ・ドゥ・ヴァン監督の『イン・マイ・スキン』、『ベーゼ・モア』、あとレオス・カラックス監督の『ポーラX』とか、バイオレントでショッキングではあるけれど、ホラーではないアート映画がメイン。どちらかというとパゾリー二やブニュエル、アンジェイ・ズラウスキーといった監督たちの諸作の流れを受けたトランスアグレッシヴな映画なので、焦点が絞りづらいなと思いまして。ファブリス・ドゥ・ヴェルツ監督の『変態村』もダークなブラックコメディですし。『BEYOND BLOOD』ではやはり自分が好きな、純粋なフレンチホラーだけに特化することにしました。劇中、ギャスパー・ノエについては、少しだけ触れてますけど。
Q、一番好きなフレンチホラー作品はなんですか?
一本だけ選ぶのは難しいのですが、『マーターズ』を初めて観たときの衝撃は忘れられませんね。正視するのが辛いエクストリームでハードコアな残酷ホラーですが、同時に哲学的で深遠で。重層的で、なんて知的で荘厳な映画なんだろうと圧倒され、不思議なエネルギーをもらいました。『リヴィッド』はホラーというよりはダークファンタジーですが、監督二人のフランス人の美的感覚と資質が顕著な詩的で美しい作品で、うっとりしましたね。結局フレンチホラーはフランス映画なんです。『RAW』はスタイリッシュで繊細でユニークな青春映画ながら、題材はカニバリズムというダイナミックな融合を成功させた奇跡的な逸品ですね。スクリーンで5回は観ました。大好きです。
Q、『BEYOND BLOOD』には一つのストーリーの流れが、起承転結のようなものが存在しますね。
シッチェスの舞台挨拶でも話したのですが、僕はドキュメンタリー映画の作り方を学んだわけでもなく、映画製作自体勉強したことはありませんが、ただストーリーを語りたかった。良いストーリーを語りたかった。ただの記録映画にするつもりはありませんでした。もちろん劇映画ではなくノンフィクションのドキュメンタリーですし、はっきりした起承転結があるわけではありませんが、なるべく劇映画を思わせるようなドラマ性のあるストーリーテリングを実験的にドキュメンタリーでやれたらいいな、とは思ってました。
Q、監督にとっての真の「恐怖」とはなんでしょう?
なんでしょうね? なにもしないことかな? じっとしてられないんですよね。家の中でぼーっとするとか無理です。先日撮影でハワイに行ったとき、ビーチでぼーっとしようと思ったのですが、長くはもちませんでした(笑)。立ち止まったら死んでしまうような感じですね。常に刺激を求めている気がします。『BEYOND BLOOD』に即して話すと、フランスで当時、あのムーブメントがどのように受け入れられたのか、撮影を進めていくうちに、ショッキングな事実が明らかになり、それはまあ、真の恐怖でしたね。まさか、そんな事態になっていたのかという……。詳しくは映画を観ていただければ。
Q、映画への出演を打診しながら、OKが出なかった人もいますか?
何人かいますね。『THEM』の監督二人組の片割れ、ダヴィッド・モローに出演の依頼のメッセージを送ったのですが、返事がなく……。当時カナル・プラスにいた、ムーブメントの仕掛け人であるマニュエル・アラディは連絡は取れたのですが、現在は20世紀フォックスで働いているということもあり、出演を承諾してもらえませんでした。『マーターズ』の主演で、フランス映画祭のときにインタビューしたモルジャーナ・アラウィは、僕がパリにいるときに連絡はついたのですが、モロッコに滞在していて、結局会えずじまいでした。
Q、音楽にもこだわりがある監督ですが、この映画の音楽について教えてください。
僕は映画と同じかそれ以上音楽に情熱を燃やしていまして、かつてニューヨークで自分の音楽レーベルを立ち上げようとしたこともあるんです。なので、音楽は重要な要素でした。今回は、国内外の様々なクラシック音楽コンクールで受賞している弟の小林純生が4曲提供してくれていて、あと日本を代表する世界的なポストロック・バンド、MONOのギタリストのYODAさんが、3曲を書き下ろしてくれました。僕がこの世で最も好きな、伝説的なシューゲイザーバンド、Slowdiveのニール・ハルステッドのサイドプロジェクト、Black Hearted Brotherの曲も、ニールにお願いして2曲使用させてもらいました。彼とは友達なんです。あと元Railroad Jerk、White Hassleのマルセラス・ホールのソロのナンバーを3曲使ってます。僕の好きな友人ミュージシャンがメインの選曲ですね。僕のもう一本の監督作『Ramen Fever』では、Slowdiveの曲を2曲使ってますし、YODAさんと小林純生、マルセラス・ホールのそれぞれ素晴らしい楽曲を使用してます。このコラボレーションは、今後も続いていくと思います。
Q、本作に登場するメインの出演者たちの近況はどんな感じでしょう?
アレクサンドル・アジャは、サム・ライミ製作の『クロール 凶暴領域』がアメリカで封切られたばかりです。全米で初登場3位、なかなかの好スタートを切りました。スリリングで痛快なパニックホラーですよ。パスカルは、昨年彼らしいトリッキーな残酷ホラー『ゴーストランドの惨劇』を発表し、好評を博しました。現在はアガサ・クリスティーの原作を基にしたフランスのTVシリーズを撮影中です。ジュリアン&アレックスは、ベルギーで撮影していた新作ホラー映画がクランクアップしたばかりです。かなりユニークな設定の作品ですよ。ザヴィエは、『ザ・レイド』シリーズのギャレス・エヴァンス製作のイギリスのTVシリーズ「Gangs of London」の3エピソードの監督を務めていて、長期間ロンドンで撮影をしてました。僕も5月に撮影現場を訪れたのですが、これはかなり期待が持てそうです。来年フランスで大作を撮るみたいですよ。『RAW』で世界的に注目を集めたジュリアは、現在新作の準備を進めているところです。一作目が大成功を収めたために、プレッシャーもかなり大きいと思いますが、これを乗り越えて絶対に素晴らしい新作を届けてくれるはずです。コラリーも『REVENGE』で一気にブレイクしましたが、現在新作の脚本を執筆してますね。
Q、小林監督の次回作について教えてください。
世界的に人気が広がる大人気ラーメンチェーン「AFURI」のCEO中村比呂人氏と、ニューヨークの「NAKAMURA」で活躍する天才ラーメン職人、中村栄利氏の中村兄弟に焦点を当てたドキュメンタリー映画『Ramen Fever』が完成済みで、この作品は年内に海外の映画祭でお披露目される予定です。『二郎は鮨の夢を見る』「シェフのテーブル」のクリエーター、デヴィッド・ゲルブや日本のトップシェフ、成澤由浩さんも出演するフードドキュメンタリー映画の新機軸です。これまたロックでパンクな映画に仕上がってます。この続編の『Beyond Ramen』という映画も撮影が完了しており、これからポストプロダクションに入ります。秋には、ザヴィエ・ジャンやジュリアン・モーリーの協力のもと、フランスでフランスのクルーやキャストとともに15分ほどの短編映画を撮影し、来年のメジャー映画祭に送り込みます。これを名刺がわりに、すでに脚本が完成している長編映画をアメリカで撮ることが目標ですね。これはロマンティックなSFホラーです。オリジナルで独創的な作品になると思いますよ。自分自身、どんな作品が出来るのか非常に楽しみにしてます。
今日はありがとうございました。メルシーボクー!
ジュテーム!
小林真里(Masato Kobayashi)
1973年三重県生まれ。東京とニューヨークを拠点に活動。
監督 / プロデューサー / 脚本家 / 映画評論家 / 翻訳家。
監督作に『BEYOND BLOOD』(18)『Ramen Fever』(19)がある。
映画評論家として「DVD & 動画配信データ」や「シネマトゥデイ」などの媒体や、数々の映画関連書籍、映画パンフレット等に寄稿。
訳書に「ぼくのゾンビ・ライフ」(太田出版)や「RECKLESS ROAD: GUNS N' ROSES」(道出版)など。